先日コナンの勝率を聞いていた時に「今、私がコナンの第一弾の『摩天楼からの脱出』をプレイしたら成功できるのだろうか…」とふと思いました。
数年前は「今プレイしても絶対に成功しない自信しかない!」と言っていましたが、現段階では「案外行けるんじゃないか」と思えているのです。
いや、たぶん今やっても十分難しい公演だとは思います。謎最後しか覚えてないけれども。
私が「摩天楼からの脱出」をプレイしたのは2015年で、ホール型で10公演も行っていない時の事でした。そう、脱出ゲームに慣れたと思い始めてきて、「そろそろ成功したいよねー」と言い出す頃です。
今の私が当時の私と比べて、どれだけ謎解き力が向上したかは分からないのですが、(たぶん小謎の能力とかはほぼ変化ない物と思われる)少なくともそれから数年、「謎解きのお決まり」的なことはもう十分この身にしみこんでいる分、多少はカンが良くなっているのではないかと思うのです。
違う、謎解き力が上がっていると思うのです。
そうなると「どうにかなるのでは」と思ってしまったりするのが人間です。
しかし一回プレイしたものはもう初見ではありません。
謎解きは初見クリアしてこそなので、一度負けたものはリピーター公演でもない限りは負け判定は覆りません。一回プレイしたものはいくら「全然覚えてない!」と言っても絶対何か覚えているのです。何にもしていない公演も多いのに、なぜなのか…!
小説とか全然覚えてなくて2回目に読んでもだまされたりすること結構あるのに、なぜ謎は覚えているのか…!!
ということで「今プレイしたらどうなるんだろう」という話は机上の空論でしかないのです。
しかしそういう気持ちが起こるのが謎解き特有だなと思うのです。
「悔しさ」が原動になって深みにはまっていく物は世の中にたくさんあると思うのですが、大概は同じものをクリアすることによって満足感を得て、己の強さを増していく物だと思っています。
「あれ、この曲昨日まで全然見えなかったのに見える…(スクフェスの話)」みたいな。
例えば検定であれば合格ラインに行くまで同じような問題集を解くまくることによって学習し、合格ラインを乗り越えていく物だと思っています。
でも謎に関しては同じものに挑戦できないし、ひらめきとか計算とかなんかそういう謎の種類的なもので全く同じ構成の謎解き公演なんてものはないし、その時のメンバーとか自分のコンディションにもよって結果が変わって来るので、もはや「あの公演に成功したならこの公演に成功したようなもんだよ!」的なものがないのです。
自分が成功した公演はなぜこの人がこれ失敗してるのか…とか思うことも多いし、逆もあります。そればっかりはもうその時の何か次第なのですよね。
そう考えれば考えるほど謎解きっておかしなものだなと思うのでした。
そして今の謎解き能力を持って過去参加作品と戦うことはかなわないので今を一生懸命生きようと思うのでした(なんの話)