私は私の人生においては主人公です。私を中心に世の中は回っています。
でも大体の人間なんて相対的に見ればモブ、脇役、無名キャラです。
「主人公」なのは自分の中だけです。
歴史的な発見をした、人々の印象に残る映画を作った、売れっ子俳優になった、ミュージシャンになった、有名人そんな人はほんの一握り。
歴史の教科書だってこのながーい歴史の中であの厚さしかないのだから歴史的な主人公になる事なんて本当にある意味強運な人なのでしょう。
規模は違えど「えええ」と思った事がありまして。
私が中学生の頃に好きだった人が某ちょっと有名なアーティストと結婚したんですよね。彼自身もちょっとしたアーティストなのでなんかちょっとした有名人になってしまったのです。「夏休み飲みに行こうぜ!」と言っていたのが実現しないままだったことをニュースなどで見るとぼんやり思い出します。
彼は有名になることでモブから抜け出し私の手の届かないところに行ったのかな…などと思ってfacebookでコメントができない存在になりました。
それがうらやましいと思うか、否かはその人次第なのだと思います。
私は地味でも幸せな人生を歩んだ人が「人生」というコンテンツの満足度が高いのだろうとは思っています。
それは他人からの「こうあるべき」価値観を押し付けられるものではなく、自分が良いと思った道を歩み、死ぬときに「幸せだったなあ」と思えればいいと思うのです。
そういう人に私はなりたい。
歴史的な主人公たちだって最終的に幸せだったかどうかなんてわかりません。「あの時独立しようなんて思わばければよかった」とか思っている人もいるかもしれません。
自分の生きる意味が分からないと悩んでいる人もいるかと思いますが、私はそりゃそうだと思っております。先天的に意味がある人もいますが、それは一握り。
意味は与えられるものではないのだろうというのが私の持論です。意味のない人生をどのくらい彩れるのかという人生ゲームなのではないかななどと思っていたり。
でも、誰だって「生きている意味のある主人公」になりたいと思っていると思うのです。
ああ矛盾。
その欲を具現化してくれたのが小説や映画であり、テレビゲームであり、そして謎解きなのだと思います。
ようやく謎解きの話です。
謎解きをしているその数分、間違いなく私は意味を持った主人公なのです。
こんな擦れた人生観を持っている私でも。
目の前にある「謎」を解かなくてはいけない状況によって、「自分の手で何とかしなくてはいけない」状態になり、強制的に物語に入り込む事が出来ます。
最終的には世界を救ったり、怪獣を倒したり、爆破を止めたり、暗殺を阻止したり、お化けを成仏させたり、とにかく私は意味を持った主人公になります。
失敗してもそれが私の物語。人生甘くないってことですね。実際の人生だってうまいこと行くときと行かない時があるじゃないですか。それと一緒な気がします。でもなぜか人生で考えるとついてないことの方へ目が行きがちで幸せは失ってから気付きがちですけれども。
「また謎解き行ってリベンジしよう」と思うのって「人生あきらめないぞ」ということにもつながりそうです。
そして小謎のひとつにでも意味がある、とか、謎解きでちょっとでも何かの役に立った、とか思うと、もしかしたら人生において誰かにとって自分が意味のある存在であり、意味のある主人公なのかもしれないなとも思うのです。
こんなに「大体の人はただのモブ」と思っているのに。矛盾だなと思うのですが、人生矛盾だらけだしそういうもんかなと思っております。
10周年本を見ていて、SCRAPの加藤社長がリアル脱出ゲームを通して
目指しているのは…日常こそが素晴らしいんだって気が付く事
とおっしゃっていましたが、確かにそういうことにもつながっているなあと思ったのでなんかよくまとまりなくてわかりませんが書きました。
本とても面白いよ本。
(突然の宣伝で終わりました)