私は現実社会の私と違う人間になりたくて「なぞこ」を名乗っているわけではないのだけれども、気付けば「なぞこ」という者は「謎が解けないけど謎解きが好きな、なんか毎日ブログ書いている人」というアイデンティティを持って過ごしているのです。
勝手に。
いや、私がその性格付けをしたのですね。
現実社会、リアルの私を知っている人からはそれがリアルとイコールになるのか、ならないのか、なんかちょっと違うのかそこらへんはよくわからないけれども、当初はからっぽだった「なぞこ」がアイデンティティをもったせいで、「なぞこ」じゃない私の表現の場というものがほしくなるのだなと思ったのです。
それはリアルの私のリアルなところといいますか。これはなぞこではないな、と思うところです。
誰も気が付いてないと思うのですが私は「いいねの数だけ自分のなんとかかんとか」とか「いいねの数だけその人のなんたら」的なタグ芸的なものは基本やりません。
とても魅力的なもの以外参加もしません。とても魅力的なものはします(矛盾)
別に秘密にしたい何かがあるとかそういうのではなく、単に返すの面倒だからやらないのです。みんなすごいよね!
それに加えて、「なぞこ」でリアルな私を出すことに何の意味があるのだろうか…と思ってしまうことが多いのです。
いや、みなさんのを見ているのは楽しいんだけどね。もっとやって欲しいのですが。
まあ、ブログでどこまでも色々だしてんじゃねえかよ、って突っ込みは置いておいて。
そして、ブログでネタにしたいからやらないんでしょと言われればそうかもしれないと思いつつ。
リアルからなぞこへの流入は仲良し以外は好みませんが、なぞこからリアルへの流入はその300倍くらい嫌だなと思っているのです。
でもなぞこで仲良くなった人には光速でリアルに入ってきてほしいとも思ってしまう。
矛盾だらけなのですが。
「なぞこ」はリアルと結び付けないって、おまえよく会社の悪口を言ってるじゃないか、とお思いでしょう。
それは「こんな事、こんな人、いるんだ…おもしろーい」と思ってもらいたいというのが理由の5%くらいで、あとは単に吐き出しかったからが95%です。
ちなみに会社の悪口を言うとフォロワーが減ります。
そうか、「なぞこ」に求められているツイートではないのだなと思います。すまん。
何が言いたいのかと言うと
人って結局は誰かについて見ているところや、自分が出しているところってその人すべてにおける一面に過ぎないんだろうなと言うことです。
当たり前なのですが。
リアルの私を知っている職場の人は「なぞこ」の事なんて知らないわけだし。
逆もしかりです。
しかしリアルよりも、「なぞこ」の方が本当の自分なのではないか、と考えればそうかもしれません。
「自分のことは自分が1番わからない」という話は過去にも書きましたが、大体何ヶ月かに一回は同じようなこと思っています。
自分ですらそうなのだから、自分以外の人に関しても同様です。
その人の一面しか見ていなくて、しかも会った事もなかったりする人もいるのに、その面だけで色々判断するのはおろかなことだなと。
何となく最近思っているので、自戒を込めた何かの話でした。
特にオチはありませんし、具体的に何かあったわけでもありません。