先日サカナクションのライブに行ってきまして。
私は謎解きにはまる前の趣味がライブだったようなこともあり色々なアーティストのライブに行くことが結構好きです。
東京とか新潟とか近県にライブで行くことが結構あって、そのたび「同じライブ二回見てどうすんの…」と言われ、「二度と同じライブなんてないんだ!」と反論するなど、そこそこ追いかけている方だなと思っていたのですが…。
謎解きにはまってから元ライブが趣味、みたいな人に会うことも多く、彼ら彼女らを見ていると私、そんなにすごく全国追いかけているわけではなかったのだというのは思いました。
(というか謎解きにはまっている人が色々常軌を逸しているという説はある)
で、サカナクションの話です。
私はアイドルや2人組男性デュオなどが好きで、サカナクションには特に興味がなかったのですが、2人組男性デュオのスキマスイッチが出るフェスを見に行った時、そのトリがサカナクションだったのですよ。
個人的にはファンであるスキマスイッチがトリじゃないのか!とちょっと怒ったのですが、ライブを見てあんなぐだぐだMCやっちゃうスキマスイッチがトリなわけないじゃないか!と思ったのです。(この言い回しはファンにはdisっているわけではないと、愛がこうなっていると伝わると信じている)
サカナクションのライブはあまりにすごすぎて、圧倒されて、何も曲を知らなくても(いや新宝島とアイデンティティは知っていたな)楽しめるし、こんなにもライブという物が一つのエンタメとして確立できるのか、これは本当にすごい、自分の世の中こんな知らない事があるのだなと思ったのです。
ということで、これは次にライブを見ることが出来たら見てみたい…と思うようになったのです。
運よく今回見ることが出来たのですが本当にすごかった。
行ってよかったなーと思うと同時に、私は本当にたまたまフェスでサカナクションを見たことで出会えたけれども、このライブを一生知らなかった可能性もあるのだなと思いました。
テレビとかで見たことはありますけど、実際行ってみるのって結構な動機が必要だと思うのですよね。
そうなると今自分を創るひとつひとつの事象に実に縁というか、運命というか、なんだかそのようなものを感じまして。
謎解きだってそうです。何度も書いていますが私は「謎や暗号など解き明かせないので絶対謎解きなんてしたくないマン」だったのです。よって謎解き界隈は自分からでは足を踏み入れない世界だったのです。
でもそんな事は言ってもきっと好きだろうとずっと謎解きに誘ってくれていた友人には感謝しています。普通何回も断られたら誘うの嫌になると思うのですよ。私はそうだもん。
もし謎解きに出会わなかった世界線があったとしたら、私はぼんやりとルーチンワークをこなしてソシャゲに課金しているだけの毎日が続いているのだと思います。
そう考えると何事も出会える物、人、きっかけは大事にしていくとその後につながる何かで大きく変わることもあるのだろうとしみじみと思いました。
その楽しさを知らなければ、それを失った時の苦しみを味わうことがないので、あえて新たな出会いを求めていかなければそれはそれで幸せな人生なのかもしれないと思うこともあります。
そうです、チケット争奪戦に敗れても、そもそも参加したことのない団体なら「知らない」ので悔しいという感情がそこまでものすごくあるわけではないのです。
それでも私は何かを知って、それを失った時は悲しみたい。そんなことを思ったのでした。